代理店に依存した販売体制からの脱却。
- Q この事業はどのように始まったのですか?
- Yさん 1976年に、東京大学と熊本大学の先生から技術のライセンスを受け、それを工業レベルで製造できる生産技術を確立したのがきっかけです。それから、正式な製造販売を開始したのが1981年になります。
- Tさん 当時の商品名は「セルロファイン」でした。セルロースでできた精密な充填剤という意味です。しかしこの商品は、その後約20年もの間、売上がなかなか伸びず低迷が続きました。
- Yさん 今思えば無理もありません。チッソはいわゆる原料屋であったので、バイオ業界向けの販売先もノウハウもなく、販売を代理店に頼っていた状況だったんです。そこからだんだんとバイオ業界が分かってきた2004年に、代理店任せにせず自社で販売しようという方向に転換しました。自社販売に転換したとき、商品名も現在の「セルファイン®」に一新。国内も海外も統一ブランドということで再出発しました。


グローバル市場を相手にした再出発。
- Q 自社販売体制になって、何か変わりましたか?
- Yさん 販売も自分たちで…ということで、ヨーロッパとアメリカで現地の専門家を採用し、一緒に顧客訪問をして地道に顧客を開拓していきました。
- Tさん 一方、この時期は市場にも大きな変化がありました。それはバイオ医薬品の市場です。2004年は鳥インフルエンザが世界的に問題になり、急速なワクチン増産が求められた時期でした。私たちのセルファイン®はそこで性能が認められ、ヨーロッパやアメリカのワクチンメーカーとの取引が大きくなっていったのです。


パンデミックとの闘いで築いた信頼関係。
- Q 市場の急速な拡大に、どのように対応していったのですか?
- Tさん 市場には先発の競合メーカーがいて、正直、競合メーカーと比べて私たちのセルファイン®は性能が追いついていない点もいくつかありました。ですので、セルファイン®の改良型を急いで開発する必要があったのです。JNCの研究所の社員たちが努力した甲斐もあって、完全自社販売に転換した3年後に弱点を克服した新シリーズ「セルファイン®MAX」が完成。私たち2人と現地採用した海外の社員とで欧米の有名な製薬会社を一社ずつ訪問することで、少しずつではありますが着実に信頼を獲得していきました。
- Yさん そして決定的だったのは新型コロナです。2020年のコロナ禍のとき、人員と物流が制限されて、どの製薬会社も海外製材料の供給不足に陥りました。そんな中、JNCは水俣でいち早く増産体制を整えて、お客様のご要望に応えていきました。そうして国内・海外の製薬会社から高い評価をいただくようになったのです。

- Q 事業の今後の展望を教えてください。
- Yさん 新型コロナのときに話題になったメッセンジャーRNAワクチンをご存じでしょうか?当社のセルファイン®のある製品が、このワクチンの製造において重要な働きをする酵素の精製に非常に有用である事が見出されました。
- Tさん 一方、横浜の研究グループでは巨大貫通孔を有するMLP(Monolith like particles)の開発を進めています。この技術は、従来のクロマトグラフィーでは難しかった大きな分子量に対応できる新材料としても期待でき、遺伝子治療などさまざまな医薬品に応用されていく流れが見込まれます。
- Yさん セルファイン®は世界のヘルスケアに大きく貢献する商品です。バイオ医薬品の市場は拡大しており、技術開発も盛んに行われている中で、我々の事業にもまだまだ発展の余地があり、営業だけでなく技術も製造もチーム一丸となって成長できる可能性が広がっています。この最前線に立ち、国内外のユーザーとコミュニケーションを重ねながら、一緒に次の展開を切り開いていける仲間との出会いを心から楽しみにしています。