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「100年後も残る仕事」に、さまざまな専門分野を持つ若手社員が取り組んでいる

執行役員 電力事業部 部長(所属役職は取材撮影時点のものです)
柴田浩之

先端化学企業として100年を超える歴史と実績を持つJNC株式会社。この企業を構成する多くの事業分野のなかで「異彩」を放っているのが、柴田浩之が率いる「電力事業部」だ。JNC株式会社についてあまりよく知らないという人にとっては、ごく単純に「何故、化学メーカーが電力事業を?」と思うだろう。また、「電力自由化のブームに乗っただけじゃないの?」と、否定的な見解を持つ人もいるかもしれない。結論を先に明かしてしまえば、JNC株式会社における「電力事業部」、それは「JNC株式会社100年の原点」であり「スピリット」そのものであるということだ。


「水俣製造所のための水力発電」から、
「社会のための再生可能エネルギー」へ。

JNC株式会社の創業者であり「電気化学工業の父」とも称される野口遵は、1906年に曾木電気株式会社を設立。野口は、この曾木電気を「動力源」として、最新鋭化学工場を稼動させる構想を抱いていたのだ。1909年、鹿児島県の「曾木の滝」に曾木第二発電所を建設。その発電量は、当時の日本では最大級のものだった。その後、1914年竣工の白川発電所をはじめ、熊本県を中心に合計13カ所の水力発電所を擁するまでに発展。現在は、これらの水力発電所で水俣製造所の電力を全て賄っている。このようにJNC株式会社の100年間を電力供給という側面から支えてきた水力発電であるが、あくまでもその位置づけは「事業部」にではなく水俣製造所内の「動力部」、つまり水俣製造所のユーティリティ部門にあったわけだ。2013年4月。生産技術部長として活躍してきた柴田浩之が、新しく立ち上がる「電力事業部」の部長に就任した。柴田は振り返る。「かつては、水俣製造所を動かすために13カ所の水力発電所から供給される電気をフルに使ってきたわけですが、時代の流れのなかで製造する製品構成も変わり、製造所内で必要な電力量も変わってきました。今は、総発電量の大半は、いわば余剰電力になっています。以前は、その余剰電力を電力会社などに引き受けてもらっていたのです。しかし、2011年の東日本大震災以降、水力発電などの再生可能エネルギーが一気に注目を集めるようになり、動力部に対する社内の風向きが大きく変わってきました。」。

2013年4月、電力事業部発足。
最初に取り組んだのは「意識改革」だった。

経営側の狙いは「電力を効率的に販売することはできないか?」という点にあった。2012年に施行された再生可能エネルギーの固定価格買取制度(以下FIT)も経営陣への追い風だった。こうした流れのなか、2013年4月に新しく「電力事業部」が立ち上がったのだ。だが、「動力部」から「電力事業部」への転向は、現場に大きな混乱を招いた。「それまでは水俣製造所のためだけに発電所を運転管理していれば良かったのですが、事業部が立ち上がった以上は社会に対して電力という商品を供給し、売上・利益を上げていかなければならない。現場にも、発電を担うというこれまでの業務内容に加えなぜ急に売上・利益についても考えなければならないのか……というとまどいはありました。」。このような状況下で柴田がまず取り組んだことは、自身を含めた事業担当者の「意識改革」だった。柴田自身も電力事業部長就任当初は、「この事業が、どこまで成長できるのか」というシナリオがなかなか描けなかったという。だが、立ち止まってはいられない。新たに事業部としてスタートさせるために必要な人材を集め、ルール・仕組みづくりに積極的に取り組み、士気の高揚に努めた。「動力部」という大きな基盤があったにせよ、新会社を発足させる流れとほぼ同様のプロセスを柴田は乗り越えていったのである。

電力事業部として最初に取り組むべきプロジェクトは、13カ所ある水力発電所のリニューアルだ。これらの水力発電所は、古いものは竣工から約100年。新しいものでも竣工後50年が経過している。国が推進するFITを事業に活かすためには、既存発電所の大規模改修を果たさねばならない。これが電力事業部として乗り越えなければならない大きな壁だった。水車や発電機などの主要設備を効率化させ、認可取水量を変えずに出力を増強していくことが求められた。2014年から各地でスタートした工事は順調に進む。最初のプロジェクトとなった栗野発電所は、2015年にリニューアルが完了し、同年9月に運転を再開している。しかし、計画が軌道に乗り始めた矢先、電力事業部に試練が訪れた。それは2016年4月に熊本を襲った熊本地震と、同年6月の熊本豪雨災害だ。幸い工事関係者に被害はなく、建設中の設備にも壊滅的な被害はなかったものの、地域によっては、発電所に向かう道路が崩落してしまい現場に向かうことができなくなるといった事態に直面した。しかし、日々届けられる被害状況の報告を柴田は冷静に受け止めていた。「水力発電とは、もともと自然を相手にした事業です。自然を相手にけんかしても仕方がないですからね。」。地震・洪水による作業停止期間を念頭に、柴田は黙々とスケジュールを組み直した。

10年に及ぶリニューアルプロジェクト。
しかし、大切なのは「リニューアル後」だ。

2014年にスタートした水力発電所のリニューアル工事は、2023年4月までに終了する見込みだ。だが、そこで電力事業部の使命が終わるわけではない。むしろ大切なことは「リニューアル後」だと、柴田は語気を強くする。「JNC株式会社には、100年以上にわたり複数の水力発電所を運営管理してきたという絶対的なノウハウがあります。これは電力事業部の大きな武器になると確信しています。例えば、自治体などが所有・管理する古い水力発電所を我々のノウハウで再構築するなど、従来は社内だけで活用してきた技術を今後は社外向けにも応用できる可能性があります。また、水力発電以外の再生可能エネルギー開発や、東南アジアを中心とした海外への事業展開も視野に入れています。今は既存設備のリニューアルが目の前の重要な課題ですが、同時並行で、リニューアル後の収益を見据えた種まきを行っている段階です。これまで、13カ所の水力発電所は、約100年にわたりJNC株式会社の発展を支えてきました。今リニューアルしている水力発電所は、次の100年のための基盤となるはずです。その使命感こそが、私たち電力事業部メンバーの矜持であると言えます。」。

機械、電気、土木……。
さまざまな技術者が「100年後も残る仕事」に取り組んでいる。

「100年後も残る仕事」と柴田がいう水力発電所のリニューアル工事には、意識的に多くの若手社員を送り込んでいるという。このプロジェクトには、機械系、電気系、土木系など、さまざまな技術者が関わっている。一人でも多くの人材に「100年後も残る仕事」を体験させたい。この仕事が、一人ひとりの技術者にとってどれだけ貴重な経験になるか柴田は熟知しているのだ。また、若手社員には、専門分野を越えた業務も積極的に任せているという。「例えば、土木出身の技術者に地主の方と交渉をしてもらうなど、いわば専門外の仕事も積極的に担ってもらっています。しかし、ありがたいことに、誰もがそういった働き方を楽しんでくれている。面白いと言ってくれている。後輩のこのような姿を見るのは、上司としてだけではなく、社会人の先輩としてとても嬉しい瞬間です。」。

実際、リニューアルプロジェクトに参加したメンバーは、誰もが高い目標を与えられていることに不満どころか、意気さえ感じているという。ある若手社員A(2012年入社,機械工学専攻)は、こう語る。「自ら強度計算した水門や水圧鉄管が形となったことが大きな自信になりました。同様の条件での計算例が過去になかったので、技術基準書を見ながら手探りで進めましたが、結果的に既設鉄管と同じ板厚では強度不足であることがわかり、板厚を増して発注したのです。試運転の際はドキドキしましたが、試運転および本運転開始後もトラブルはなく、ホッとしています。機械担当としていい経験になりました。」。また、ある若手社員B(2013年入社,電気工学専攻)は、こう振り返る。「リニューアル工事に参加して、先輩の仕事ぶりを見ることができたのは大きな刺激になりました。彼らはメーカーや施工業者の方に対して、自分たちの意向を的確にわかりやすく伝える力に長けていました。いつかは自分も先輩のように、高度な専門性を身につけ、多くの人を巻き込む仕事ができるようになりたいと感じています。」。最後に、ある若手社員C(2011年入社,土木工学専攻)はこのような意見を寄せてくれた。「JNC株式会社は、大手電力会社と比べれば遙かに少人数の組織です。したがって、機械・電気・土木といった棲み分けを超えて学ぶことができ、それが面白さにつながっていると感じています。これからの時代は、自分の専門だけを追いかけるのではなく、積極的に専門外の事柄についても学ぶことで、複数の分野をトータルにマネジメントしていく力を磨くことが必要だと、このプロジェクトから学びました。私の経験から言えるのは、自分の視野や知見を広げたいと願う人には、当社は向いているということです。」。